六鱗あるいは地金について

六鱗愛好家を訪問して

1999年12月30日、暮れの押し迫った一日に岐阜県にお住まいの有賀氏を訪問しました。(有賀氏はWebページをお持ちですのでそちらも是非ご覧ください。氏の六鱗のコーナーは必見です。http://www05.u-page.so-net.ne.jp/zb3/k_agira/index.htm)

氏は、らんちゅうでもつとに有名な方ですので、そちらは当コーナーの「らんちゅう師の館」に詳しくは譲るとして、こちらでは、六鱗について詳述しようと思います。

手元の書籍などの資料から六鱗または地金関連の記述を追ってみましょう。

多くの書物の中でも「地金」に関して紙面を割いているものは少ないと思われます。

松井佳一著「科学と趣味から見た金魚の研究」昭和10年発行には、ぢきん(地錦)という項目を設け、(本書129ページ)名称について以下の記述があります。

「ぢおう」(地王)「ぢきんぎょ」(地金魚)、「しやち」、名古屋金魚、愛錦又は「くじやく」(孔雀)などと別称せらるる品種・・・・

松井先生は、以下にその名称の由来を詳述されています。また、時代は下って現在でも容易に入手可能な書物の中で最も「地金」に関して詳しく触れている長澤兵次郎著「金魚の全て」マリン企画、昭和59年発行には、

地金は古くから尾張、三河の国といわれた地方で飼育・愛玩されたきた我が国固有の金魚です。「地錦」「地王」「地金魚」「しゃち」「名古屋金魚」「愛錦」「孔雀」「ろくりん」など、雅名と思えるものを交えて多くの名称で呼ばれました。(本書185ページ)

長澤氏の記述には明らかに松井先生の影響も見て取れますが、氏は近年の状況も実地に独自に調査されていて貴重な資料とし詳述されています。

長い歴史の中で、時代の流れによって地金の美に対する意識の変化があったでしょうし、各地での愛好家グループの指導的立場にある人の美に対する解釈や意識の相違が、地金の型に対して大きな影響を与えたことだろうと思われます。(186〜187ページ)

この記述は大変示唆に富んだ言だと思います。らんちゅうに関しても同じことが言えますし、現存する品種に対しても当てはまる事と私は考えます。少し話が逸れましたが、

現在では大きく分けて尾張地方の型と三河地方の型があるようです。地金の容姿は笹の葉のごとしとありますが、尾張地方のは一口にいうと細いスラリとした笹の葉型、三河地方のは熊笹のような寸のつまったがっしりした型であるといえましょう。(187ページ)

この記述を裏付けるように、今回訪問させていただいた有賀氏の魚は、長手の尾張地方の型をしていて「六鱗」として区別し、また、三河地方の魚を「地金」と称しているそうです。古来から両地方は並び立ち、ある一面では反目しあいながら、ある一面では競い合って来た結果なのでしょう。

やはり、その地方の美意識はその金魚達にしっかりと反映されていると思いました。

こちらに収録している画像の魚達は全て有賀氏の持魚ですが、どれもさすがの出来でした。シーズンオフではありながら、そのゆらゆらと独特の2枚の尾鰭を打ち振りながら泳ぐ姿は全く持って優美な世界を醸し出していました。