明治33年9月、浪花錦成会主催、「らんちゅう当歳見立会」の番付表です。
右に「模様魚見競評」とあり左に「無地魚容姿優劣評」とあります。「模様魚」は大坂らんちうを差します。「無地魚」は現在のらんちゅうである獅子頭らんちゅうを差します。このように当時の大阪の品評会においては二つの種類のらんちゅうが妍を競っていたわけです。
特筆すべきは、「模様魚見競評」は読んで字の如く、「模様を見て競う」ことがその鑑賞の主眼となっています。反対に「無地魚容姿優劣評」はこちらも同じく「容姿によって優劣を判断する」ことに主眼を置いています。「無地魚」の鑑賞はもう少し言いますと、体形や姿形を見る魚だったわけです。色模様は二の次であったことが覗われます。
そうやって見ていくと現在のらんちゅう(ここで言う無地魚であり、獅子頭らんちゅうであり、また関東らんちゅうとも言う)の鑑賞態度に関して納得がいくわけです。多くのらんちゅう愛好家が色模様が邪魔になるとして排除し、素赤の魚を基本にするというのも伝統に即した鑑賞態度であることがこのように理解できます。
「模様魚」と「無地魚」、並び評されるほど隆盛を極めた片一方の魚はもうすでにいないとは私達は驚く以外ありません。
さて、次にもう一枚の番付表を見る事にしましょう。 |