【大坂らんちう異説】夢を紡ぐ人々

現在の作出者の方達とお会いして

98年秋、立て続けに大坂らんちうを西川氏以外で作出を試みている方達とお会いできました。それは東京にお住まいの川田ようのすけ氏、浜松にお住まいの池山氏です。

お二方とも、もうご紹介するに及ばないほど有名な方達だと思います。川田氏は、日本インターネット金魚愛好会でもつとに有名な、金魚館の御主人であり、副会長をされている方です。

池山氏は、向坂養魚場を拠点に活動されている「大阪らんちゅう愛好会」の会長であり、「中部ナンキン愛好会」の会長でもあられる方です。

お二人は互いに交流があり、それぞれお話を聞くと、大坂らんちうに関して良く研究されているのが良く判りました。

また、熱心に大坂らんちうの復元に尽力されているのが、話の端々から窺い知れて、その熱意には打たれるものをも感じさせられました。

そして私やお二方を含めて誰一人としてその大坂らんちうの全盛を極めた往時を知り得ないということにも考えが及んで、果たして何を基準に置いて大坂らんちうと言うべきなのかも私の中で判然としない迷いのようなものも浮かんで来ました。

上に書きました意味において、大坂らんちうの存在自体が個々のイメージとして頭の中に結ばれているものであるということにきっとなるのでしょう。ご存知のように金魚は選別淘汰を繰り返し、個々の理想とする魚を追い求める終わりのない趣味であります。

らんちうの世界では、営々として先達の業績の上に理想の魚を求めて愛好家は日夜努力を重ねています。

私の場合、大坂らんちうとの出会いは、京都筋のらんちゅうの鑑賞方法や作出方法に興味を持ち、そちらの方面からのアプローチであり、また宇野先生の足跡を調べていくうちに行き当たった魚種でもあるわけです。

宇野先生の足跡のある一方には、オランダシシガシラの存在も明らかになりました。そして、従来からの品種、または地金魚と言われるその地方地方に代々伝わる独特の金魚達は、おしなべて鑑賞方法等に共通するものをも発見することが出来ました。

また反対に、その地方での趣味趣向が金魚に反映され、引いては、まさしく金魚がその地方の文化風土をも表現することになっていることにも次第に気づかされたと言っても良いでしょう。

そのようなことは、金魚を見るにあたって、私達が心がけなければならない以下のことを提示しているのだと思われるのです。

つまり、金魚を見る前に、その金魚の生い立ち、歴史、その金魚を作り上げた人々の暮らし、文化、時代背景、これらが渾然一体となり、金魚という生き物に表出しているという認識。これがなければ該当金魚の神髄までは到達しないのではないか。以上のような結論に達したのであります。

現存する大坂らんちうは、これまでも何度も申し上げたとおり、決して完成された品種ではありません。そのことは、西川さんはもとより、池山さんも川田さんも、それぞれ大変思慮深い方々なので良く分かっておいでです。

決して満足されている訳でもありませんが、改良の余地は気の遠くなるほど残されていると皆さん自覚されています。

私は大坂らんちうを作出しているものではありません。上に書きましたことは、あくまでも一個人の、そして部外者の意見であります。全く持って無責任な発言かもしれません。

金魚のブリードは、一般の方でもいとも簡単に出来るものです。しかしながら、理想の、イメージの魚を作出することは並大抵の努力では出来ないことを、らんちゅうを作出されている方をはじめ、多くの愛好家は痛いほど良く認識していると思っています。

その敢えて明確な下敷きさえ存在しない想像の金魚の作出に挑戦されている方々には、やはり私は絶大なる声援を送りたくなるのも偽らざる心境であります

この一文の副題を「夢を紡ぐ人々」とさせて頂いたのにはそのような意味があるのです。

「大坂らんちう」という品種の確立には、まだまだ道程は長いとは思いますが、西川さん、池山さん、川田さん、また私の存じ上げないアマチュアの方々の絶え間無い努力を期待して止みません。

最後に、私の頭の中に像として結んでいる「大坂らんちう」はどのようなものか明確にしておきます。それはまさしく松井佳一先生の挿し絵の金魚なのです。

ご意見ご感想をお待ちしております。

※本文の画像は、池山氏の持魚です。ありがとうございます。