「塩水浴」の考察



 先般、「微生物の基礎知識」で一部触れました「塩水浴」に関して、専門的に論述された文献に巡り合いました。その文章を引用するとともに、それを叩き台として、考察をすすめていこうと思います。

 塩水浴をご存知ではない方はいらっしゃらないとは思いますが、簡単に定義をしておきましょう。金魚の病気に際して広く行なわれている治療方法で、大きく分けて、二つの方法があります。ひとつは、1%以上の濃い塩水に魚を短時間入れる塩水浴と、もうひとつは、0.5〜0.6%の塩水に長時間入れて治療する方法です。短時間浴の場合、魚体にかなりの負担を強いる危険な治療方法で、主に魚体表面に付着している細菌の除去に使用します。逆に長時間浴の場合は、0.5〜0.6%の塩水では魚の挙動に変化はなく、緩やかに魚体の回復を促す作用があると一般に考えられています。

 上にも書きましたように、この治療方法は広く行なわれており、金魚愛好家ともなると、必ずや病気治療の一番の方法として活用されています。この方法をマスターせずには金魚飼育は出来ないとまでいわれているにも関わらず、何故塩水浴が金魚の病気治療に効果があるかという素朴な疑問は、愛好家にして明解に説明されることは未だありませんでした。

 いわゆる「定説」として広く流布していますが、何故、0.5〜0.6%濃度の塩水に金魚を入れると病気が治るのでしょうか。さらに0.3%などの薄い塩水ではいけないのでしょうか。また、少しでも濃い0.9%の塩水では何故いけないのでしょうか。0.5〜0.6%とは随分と中途半端な数字です。どのようにして導き出されたものなのでしょう。

それもこれも今流行のインフォームドコンセントではありませんが、そのような疑問は科学的に払拭することによって、情報を使用者が把握して理解を深め、正しい使用方法を知ることによってはじめて治療の効果が高められるということにつながります。何でもそうですが、我流で試行錯誤することも大事ですが、まずは基本を身につけて一歩ずつ高みに登ることが何よりも飼育の上達への近道と考えます。理論と実践、簡単な仕組みを知ることによって、金魚にとって、効率的でよりよい環境を整えることが出来るのではないかと私は考えます。

水の中に、ある膜でさえぎられた塩分濃度の異なる水塊があると、膜の内外の塩分濃度を同じにするような力の働き、結果として水が膜を通して塩分のうすいほうから濃いほうへ移動し、膜の内外の塩分濃度が同じになる。この力を浸透圧といっている。
 魚も膜で包まれた水塊とみなすことができる。魚はすべて体内に約0.8%の塩分をもっている。そのため、淡水魚の塩分は魚のまわりの水の塩分より高い。外の水は魚の皮膚を通して魚体内に侵入する。逆に海水魚は魚よりもまわりのほうが高いため、魚の皮膚を通して魚体内の水分が外へ出ていってしまう。この現象は一日中常に起きている。
 180ページ『原色・淡水魚の病気  診断・原因・対策』 富永正雄・高橋耿之介・山崎隆義・西尾和民 共著 昭和52年発行 社団法人 農山漁村文化協会

ここでの重要なポイントは、「浸透圧」という仕組みと、魚は体内塩分濃度が「0.8%」であるということです。そして絶えず魚は、浸透圧の関係から生理学的に体外と体内とが密接な関係をもって、バランスを取りながら生存しているということです。魚を健康に飼育することの重要な仕組みのひとつがこれで理解できると思います。

 私達愛好家の魚類に対する基本的な知識のひとつとして、知っておかなかればならないこととして以上の文章を引用させていただきました。案外大多数の愛好家の方はご存知ないようです。大変不思議なことです。恥ずかしながら、私自身も詳細に調べるまで知りませんでした。先輩からの口伝えで教授されたものへの疑問を持たないことは、新たな進歩発展を自ら放棄しているとしか考えられません。愛好家は探究心を持って自分なりに納得の行く説明を試みるようにするべきなのではないでしょうか。
 また、現状がそうならば、少しでも愛好家の共通認識としてこのような事実を書き留めておく必要があると思います。

 さて、次に以上の知識を踏まえて、今一歩踏み込んで塩水浴に関する知見を見ていくことにしましょう。

「魚病論考」 江草周三著 恒星社厚生閣 1990年発行 には、塩水浴とストレスの関係が詳細に記述されています。重複して引用しますが、重要なのでご了承ください。

 本書は水産養殖魚の魚病についての論述ですが、私達観賞魚を飼育する上でも同じ一般的な魚類の病気として大変参考になります。引用文は主にウナギの「えら腎炎」という病気に対する所見ですが、金魚の塩水浴が何故効果的な治療方法かを図らずも明解にしてくれています。

えら腎炎の一つの特徴は血液の化学的性質の異常であった。すなわち、血漿の塩素イオン濃度は著しく低下し、極端な場合には正常魚の四分の一程度にまでなっていた。またナトリウムイオン、マグネシウムイオンは滅少し、カリウムイオン、カルシウムイオンは増加していた。さらに総コレステロール、血清蛋自質、血糖はいずれも増加していた。このような血液の性状の変化はストレスによって起こることが知られている。【本書20ページ】
ここで興味のあることは病魚を収容した水槽水中に食塩を○・六〜○・八%程度(血漿の濃度に近い)溶かすと、魚の血漿中の塩素イオン濃度は速かに上昇して正常値に復し、さらに上に述べた諸成分も正常値に戻り、魚は死からまぬかれることである。
【本書20ページ】

 魚のストレス下における血液化学的性質が書かれており、魚の血漿塩分濃度が0.6〜0.8%であり、食塩浴により正常値に復するとのこと。体内の塩分が0.8%と先の引用と一致する見解が書かれていることがお分かりになることでしょう。

これは長時間塩水浴であってそれによりウナギの血漿中の塩素イオン濃度、ナトリウムイオン濃度は高まり、ほぽ正常の値に復する。さらに興味あることに、えら腎炎病魚で一様に起こる血漿の血糖値の著しい上昇、さらに血清蛋自質量の増大や総コレステロール量の増加といった異常も回復して正常値に近づく。鰓や腎臓に起こった異常の回復は観察されていないが、血液学的には治癒に向ったといえる。【本書114ページ】
淡水魚がストレスを起こすと血漿中の塩素イオン、ナトリウムイオンは減少するほか、上記のような血液化学の異常が起こる
【本書114ページ】

一般的なストレス状況下で同じような変化が魚体に起こっていることは、同じく推測できることで、逆にこのメカニズムは、長期塩水浴の効果を科学的に立証していると判断できます。金魚の塩水浴での効果もこれで納得がいくと思います。

さらに、

その変化の一部を大ざっばに挙げると、コルチコステロイドなどのホルモンが異常分泌される、高血糖などの血液化学の異常が起こる、浸透圧調節が狂って血漿中のナトリウムイオンや塩素イオン濃度に変化が起こる、血液のヘモグロビン量や白血球数に変化が起こる、心拍、呼吸率、鰓の灌流水量に変化が起こる、などさまざまである。【本書149ページ】

  最初に塩水浴濃度を0.5-〜0.6%が有効としましたが、魚体の塩分濃度である0.8%までは上記の記述から有効と思われます。逆に薄い塩水(0.3%ぐらい)の有効性は、効果の仕組みからはあまり意味がないことが分かると思います。また、高濃度の塩水に浴することは、浸透圧の関係から急激な生体内の水分変化を促進こそすれ、衰弱した魚には大変危険な治療方法であることも理解できます。つまり、0.5〜0.6%(または0.8%)の塩分濃度が魚体内に不足した塩分を補給するのに有効な数値であることになると思われます。

 以上で長期塩水浴の効果を科学的に理解できたことでしょう。
金魚の多くの病気は、ストレスに端を発していると考えられます。

ストレス要因で起こった体内の異常は、感染に対する抵抗性を落とすであろうことは充分に考えられる。またストレスは体内の免疫系にも影響を与え、生体防禦機構などにも変動をおよぼすとされている。免疫を担当する細胞のリンパ球や、補助的な役割を演じるマクロファージの生産が抑制されれば免疫の反応は落ちる。【本書149ページ】

まさにそのとおりだと思います。「感染に対する抵抗性」という問題。ストレスを加えることによって起こる魚体内での変化、そしてその仕組みが分かったところで、金魚の大半の病気の原因を長期塩水浴で緩和できることがより一層理解できたことでしょう

以上のことを簡単な流れとして図解すると、

 外部的なストレス
     ↓
 コルチコステロイド・ホルモンが異常分泌(感染に対する抵抗性減少)
     ↓
 浸透圧調節異常 血漿中のナトリウムイオン・塩素イオン濃度減少
     ↓
 外見として 心拍・呼吸率・鰓の灌流水量の変化
     
 となります。

私達の先達が魚の病気の時、「塩を入れろ。」と言ったのには意味があったのです。なぜ塩を入れるのかといぶかしがって質問をしてみても納得のいく説明は無かったかもしれませんが、このように科学的な根拠を持って知らされることによって、私たちは自信を持って後進の方たちに説明することが可能になるのです。
2002・3・1write