2001年1月21日、午後10時27分、ワンピーさんこと嶋崎孝司さんがすい臓がんの為、45歳という若さで永眠されました ここに私、ふんぺいの追悼文と、金魚仲間の皆さんから寄せられたメールや掲示板への書き込みを、故人を偲び安らかな永眠を祈りまして、謹んで掲載させていただきます。 |
嶋崎さんとの出会いは、5年ほど前、たまたま私の近所にお住まいの荒木さんというご隠居のお宅へお邪魔している時でした。荒木さんは、琵琶湖金鱗会の会員で、その時分、私は愛好会にお世話になり、本格的にらんちゅうをやろうと決心した時で、右も左も分からない私を色々と教えてくださったのが嶋崎さんです。 嶋崎さんは、私の高校の3年先輩で(付き合いだしてから分かったのですが)、年も近く、話しやすい私にとっては兄のような存在でした。 はじめは、取っ付き難い方でご自分からはあまり話しをされなかったのを覚えています。後でご自分で仰っていたのは、「わし、柄にも無く人見知りするんや。」ということで、なるほどと納得しました。そしてどちらかというと懐に入ると次第に打ち解けるタイプの方で、愛好家を訪問するときなどは、私が切りこみ隊長、だいぶ遅れて大将登場というパターンをいつも踏襲していました。 風貌は、無精ひげを生やし、どんな時でもトレーナーにジャージの出で立ちで、はじめはちょっと取っ付き難い人だなあという印象を持っていました。慣れるにしたがって、らんちゅうに対する熱意を持って時間を忘れて二人で話し込むようになりました。 お仕事が土木建築業なので、叩き池を作ることは朝飯前。お会いした当初は、水道のない資材置き場に池を作り、そこでらんちゅうを飼われていました。水換えは、軽トラにタンクを積み、水を貯めて何度も往復するという、今では考えられないことを実践されていました。「日本広しといえども、水道や井戸のないところでらんちゅうをやってる馬鹿はわししかおらん!」と豪語されていたのを今でも思い出します。 シーズンに入ると、嶋崎さんは仕事柄、私の出勤の時間頃、家の前を何気なく通り、私を軽トラで駅までよく送ってもらったものです。道すがらしばしの金魚談義をしながら。そして、土曜日ともなると、私が早朝から水換えをしているの知っているので、狙って朝から昼頃まで長話を毎週のようにしていたものです。 嶋崎さんは、土建屋さんの社長さんなので、それぞれの現場に指示を飛ばすのが何よりも重要な仕事で、携帯電話が必需品でした。作業員を現場に送り出すと結構昼間は時間があったのです。私は会社員なので、そんな嶋崎さんが羨ましくも思いましたが、反面、今般の不況で資金繰りなど人に言えない苦労やストレスも、たまに私に漏らしていました。私は密かに嶋崎さんの寿命を縮めた一因はそこにもあるのではないかと思うほどです。 私は、今ほどインターネットなどパソコンについて騒がれなかった頃、自分のスキルアップの為と称してパソコンを購入しました。その頃は金魚の情報は本からのみで、大変情報に飢えていましたので、もっぱらパソコン通信で全国の仲間と情報交換をしながら次第次第に金魚へとのめりこんで行きました。そしてこのページを立ち上げ、情報発信をし始めたのが1997年のことです。それを横目で嶋崎さんもご覧になり、ある日、「田中君、ホームページを立ち上げたいけど手伝ってくれる?」というお電話を貰いました。毎日のように嶋崎さん宅を訪問し、二人で夜遅くまで作業をしたものでした。 そして、HPをはじめられて、今までの人見知りの性格も変化して、持ち前の世話好きからどんどんネット友達を増やしていかれました。いつのまにやら「ワンピー倶楽部」を立ち上げ、稚魚の発送のお手伝いなど、私も一緒になってやりながら、二人して「何でこんなことしてるんやろ?」と顔を見合わせて苦笑したものです。 仕事柄、私は出張があり、東京や名古屋の愛好家を訪問する機会がありましたが、嶋崎さんにとってはそれが大変羨ましく思っていらしたようで、愛好家訪問を誘うと顔をくしゃくしゃにして喜んでいたのが印象的でした。 中でも出雲のナンキン愛好家を訪問した時は、良い思い出になりました。夜中にこちらを出発して早朝出雲に着き、ワゴン車の後ろに持参した布団でしばしの仮眠を取り(嶋崎さんの豪快ないびきには閉口しましたが)、訪問後は二人で交代で運転して帰りました。二人で素晴らしいナンキンを見て興奮しながらその余韻に浸って、帰り道もまたずっと話しながら帰りました。 琵琶湖金鱗会の研究会や品評会の資材は、嶋崎さんの倉庫を提供されていましたので、どちらからともなく、前日には運搬の打ち合わせをして、当日会場に運び込む作業をしていましたが、そんな人の嫌がる作業も嶋崎さんが居たからこそ私には何も苦痛ではありませんでした。 そうそう、会報製作も嶋崎さんが作ると言い出し、二人でコンビニにカラーコピーをしに行き、それを一部づつ綺麗に装丁して会員念願のはじめての会報を手作りしましたね。さすがに次の年はあの作業は労力が要りすぎるので印刷会社に頼みましたけど。 嶋崎さんは、私と同じく協会系のらんちゅうから入られた方なので、どちらの魚もきっちりと評価する目をお持ちでした。そして協会系の魚に飽き足らず京都筋をはじめられた方で、京都筋の良い点、悪い点を客観的に認識し、その考え方はどこに出しても恥ずかしくないものだと私は今でも思っています。 嶋崎さんとの楽しい思い出は、書き出したらいつまでも続きそうです。そんな蜜月のような日々も、今年2月、私の会社の人事異動で土日出勤で一ヶ月に一回の休みしか取れなくなってから変わってしまいました。私は仕事が猛烈に忙しく、家に帰るのも9時10時。嶋崎さんとお会いする時間も極端に少なくなっていきました。去年は8腹の仔引きをしたのに、今年は3腹に絞り、自分の出来る範囲での飼育しか出来ないほどでした。 嶋崎さんとは電話や夜遅くに出向いたりなどして連絡を取り合っていましたが、2月頃より腰が痛いと言い出し、次第に痩せていくのがはたから見てもわかるようになってきて、5月のある日、検査入院をされ、結果、入院することに決まりました。自宅で「わし、すい臓がんやねん。」と漏らされた時、私は絶句してしまいました。何故なら嶋崎さんも知っていたように、その年の1月に荒木さんの奥様が同じ病気で亡くなられたところだったからです。 私は、それを聞いて目の前が真っ暗になりました。二人の間に長い沈黙がありました。嶋崎さんは、それでも気丈に「でも治療方法があるから死ぬことは無いよ。」と仰り、私も「そうです。嶋崎さんなら大丈夫ですよ。」と言いながらも、えもいわれぬ不安感でいっぱいになりました。 入院後、治療はかなり体力を消耗するもので、見舞いに行った日によるとなかなかお話も出来ない時もありました。調子の良い時は、私の持っている情報を逐一報告して、出来るだけ金魚の話をするようにしていました。心の中では「がんばれ!がんばれ!」って叫びながら。 そして10月のある日、見舞いに行くと「わしあと半年の命やと先生に言われたんや。」とつぶやかれました。その嶋崎さんの言葉のあとショックで何を言ってお暇したのか、どうやって家に帰ったのか覚えがないほどでした。 もう時間がないんだと思いながら、私の出来ることは何かを真剣に考えるようになりました。嶋崎さんがやり残していることを少しでも手伝ってあげることが一番だと思うようになりました。9月頃より、少し仕事が楽になり、考える時間も取れるようになっていたので、引き継げることは全て背負う覚悟が出来たように思いました。 ご本人は、死の恐怖と家族のこと、仕事のこと、そして趣味のこと、全てを背負いながら戦っている。そして今のご自分が何も出来ないことを日々焦燥感を持って過ごしているんだと思うと、気が変になりそうでした。 そして、まだ先だと思っていた矢先に死の一報がnaomiさんから入りました。 naomiさんには、私が見舞いに行けない分、色々と病状を報告してもらい、大変感謝しています。 嶋崎さん、私に遠慮してもっともっと頼みたかったことを言わなかったんじゃないですか?それこそ悔やんでも悔やみきれません。 私は、らんちゅうの手ほどきを嶋崎さんにしてもらいました。そして話し込んでいるうちにらんちゅうに対する考え方が近いことが分かり、いろいろな情報を共有しながら、またとない趣味のパートナーとして歩んで来ました。あまりにも若すぎる死。まだまだこれから二人でやっていくことが沢山あったのに。 「金魚なんて真剣にやるもんじゃない。」と言いながら、一番真剣だった嶋崎さん。 「人生、一回きりなんだから好きなことをして、好きなものを食べなあかん。」と言って甘いものに目の無かった嶋崎さん。 うちの庭でボールに魚を掬って二人して長い時間眺めていましたよね。何も言わなくても千の言葉よりその沈黙が心地よかった。 「今日、花火見ながら焼肉パーティーするからご家族でいらっしゃい。」と声を掛けてくださいましたよね。 ニフティの会議室も面白いから出てきてくださいって誘ったら、ハンドルネームが柄でもない「ワンピー」って、そりゃないだろって思いましたよ。 あのユーモアとウィットに富んだ文章は誰にも書けません。それは嶋崎さんの才能ですよね。 愛好家の家に行った時は、必ずと言って良いほど話が止まらなくなって、どうやって話を打ち切るかいつも悩むのは私でしたね。 嶋崎さんがもうこの世にいないなんて考えたくはないですけど、それが事実なんですよね。 ありがとう!そして・・・・・・ また春が来て私は早朝から水換えをしているでしょう。きっと軽トラが家の前を通ったら、いつものように振り返って、そこににこやかな嶋崎さんを探してしまいそうです。 嶋崎さん、やすらかにお眠りください。 ふんぺい(田中 隆) waniさん(掲示板より) ワンピーさんのご冥福をお祈りいたします。突然のことでびっくりしております。去年からワンピーさんのホームページをよく見ていたのですが、途中で活動休止となっており、どうしたのだろうと思っていたところです。また、こんなすばらしい内容のページを製作できる力量の方と一度お会いしたいとも思っていました。訃報に接し、巨星が落ちたような感があります。これまで私達を楽しませてくれてどうも有り難うございます。安らかに眠ってください。私達はこれからもらんちゅうとともに生きてゆき のじさん(掲示板より) びっくりしました。 私より3つも若いのです。 ふんぺいさんとワンピーさんの分の ちょっぴり激しくて 喜多さんの池をもってくる時 次に会えるのは今年の春かなと ワンピーさんのHPの ご冥福を祈ります。 とどろきさん(掲示板より) ワンピーさんが他界されたと聞いてびっくりしました。ワンピーさんとは直接の面識はありませんでしたが、niftyの会議室で京都筋について語り合った事を思いだします。本当に残念です。 きよぼんさん(メールより) こんばんはふんぺいさん きよぼんです。 あれからどうですか?僕は時間の観念が狂っちゃいました。 あの豪快な笑い顔と僕たちに教えていただく時の真剣な眼差し 金魚だけじゃなくいろんな事を教えていただいていると 御家族のことも心配です。でも何もできません・・・ 最後に掛けていただいた言葉を忘れずにいたいと思います。
嶋崎さんが亡くなられて3日が過ぎようとしていますが未だ信じられません。 いや信じたくありません。 しかし、これが事実なんですね。 渡部さん(メールより) 本日「らんちゅう至上主義」を拝見して、初めて 私も「ワンピー倶楽部」会員でしたので掲示板等で 私は、ワンピーさん・ふんぺいさんを始めとするらん 京都筋らんちゅうを愛する一人として、心からご冥福を
先ほど出張から帰ってきて、メールとHPをチェックしていたら ハチドリさん(メールより) こんにちは、ふんぺいさん ハチドリです。 ニフティ会議室にて(金魚党) アクアリウムフォーラム専門館金魚鯉会議室においても以下の方々から哀悼の辞を頂いています。謹んで故人に代わりましてお礼申し上げます。 ムギツクさん・松田さん・オジカさん・おまつさん・夢之助さん・頭でっかちさん・カバさん・naomiさん・タニシさん・katsuさん・FRANKさん 緒方さん(掲示板より) ワンピーさんとは直接お会いして事はありませんが 徳永さん(掲示板より) ワンピーさんのご逝去を悼み、ご冥福をお祈り申し上げます。 昨年よりランチュウの飼育を始めランチュウに関するHPを色々訪問していたある日ワンピーさんのHPを知りました。初心者の私がいうのもなんですが、HPを拝見していて思いましたのがランチュウ飼育に対してしっかりとしたご自分のお考えをお持ちの方だなあという印象でした。 昨年の10月に鱒の稚魚用の餌を2sだけおわけいただいたのですが、その時は奥様より直接お電話を頂き、少量の買い物にもかかわらず懇切丁寧な対応をしていただき大変恐縮した思いでした。今思えばとても大変な時期であったのに・・・ ワンピーさんとは直接お話をした事も、又お会いした事もありませんが、私にとってはワンピーさんのHPがワンピーさんの顔を拝見する事であり、HPを訪問することが唯一の接点だったのです。とても残念な思いで一杯です。 yoshiさん(掲示板より) ワンピーさんには何度かメールで色々と教えていただきました 山本さん(メールより) 今日、ひさしぶりにパソコンを開いて驚きました 杉野さん(メールより) ワンピーさん逝去を知りびっくりしました。 畠中さん(メールより) 大変、恥ずかしながら、本日はじめてワンピーさんの死を知りました。 こだまさん(掲示板より) えっ という感じです ワンピーさんのご逝去を悼み、ご冥福をお祈り申し上げます。 軒下金魚庵さん(日本インターネット金魚愛好会掲示板より) 雑用に追われ、久しぶりに開いたHPでワンピーさんが天国に召された事を知りました。追悼文を読ませて頂き、故人の人徳が偲ばれます。本欄に金魚の色呼称の定義を提案した時、賛同して下さり、更紗模様の呼称についても先達の雅な楽しみを引き継ぐ上でも大切だと強調されました。(1999/9/15)。更にプラ船物語や飼育槽最適水面比なる造語の際にも(2000/2/7)激励の長文のメールを頂きました(2月8日0:34)。ふんぺい さんの追悼文でご病気の兆候が表れた頃だったのですね。お会いした事はありませんが、金魚に対する溢れんばかりの情熱をメールの文節で感じさせられました。まだまだお若い嶋崎さんの志半ばのご逝去に対し深心からご冥福をお祈り申し上げます。 神戸のらんちゅうさん(掲示板より) ワンピーさんのご逝去を悼み、ご冥福をお祈り申し上げます。 お恥ずかしいのですか今日知りました。会に入会させていただいて、お会いできることを |