松井博士の挿し絵と餌袋の関係を考察する

大坂らんちうの実在を追って


現在簡単に手に入る金魚関連の書物には、必ずといっていいほど金魚の系統図があります。その系統図の多くは、故人である松井佳一博士の作成されたものといっていいでしょう。その中に見慣れない金魚が数多くいるなかで、ランチュウの兄弟品種としてオオサカランチュウが描かれています。

その金魚は、私達が子供の頃慣れ親しんだブリキの金魚の玩具にも似て何か懐かしささえ感じます。しかし、よくよく調べてみるとどうやらその金魚は絶滅したらしい。金魚専門店に行くと何やら「オオサカランチュウ」と名を冠せられた金魚がいるが、全然松井先生の挿し絵の金魚とは似ても似つかわしくない代物である。

こうなると、段々その松井先生の挿し絵自体も実物の金魚を模写したものかが疑わしくなってきます。現存する金魚からはまるで想像出来ない金魚でもあるわけです。
こうやって、金魚を飼いはじめてずっと心のどこかに引っかかっていた幻の金魚「大坂らんちう」の探索がはじまったわけです。また、同時に「京都筋のらんちゅう」について調べるうちに私はどうも「大坂らんちう」に行き当たるのにも気が付きました。こうなればもう調べないわけにはいかなくなったわけです。

そして、遂に西川氏訪問が実現し、新たな事実が浮かび上がってきたのです。私達は訪問して開口一番の質問は、当然の如く「あの挿し絵の金魚は本当にいたのですか?」ということでした。

西川氏がやおら袋から出されたものが以下の画像です。


西川氏蔵大坂らんちう餌袋
僅か3cm×5cmほどの金魚の餌袋ですが、確かにあの挿し絵と良く似た大坂らんちうが印刷されているではありませんか!見れば見るほど良く似ています。違いと言えば尾がベタ赤かそうでないかだけです。

その時、私達は大坂らんちうの実在を確信しました。しかも想像通りの。
最盛期の大坂らんちうの写真を探していた私にとっては渡りに舟でした。その餌袋は写真の印刷にも見えました。つまり、松井博士の挿し絵はこのような個体が存在してその写真を元に描かれたのではないかという推理です。

しかし、冷静に考えてみるとこの餌袋はいったいいつ発売されたものでしょうか?もしやこの袋自体は松井先生の挿し絵を元に印刷されたものとも考えられます。全く逆の推理です。餌袋の発売年までは判りませんでした。その真相は依然薮の中といった感じです。

現在の餌の袋にも著名な素晴らしい金魚が印刷されています。土佐錦などはその良い例です。それと同じように大坂らんちうは、当時の有名な金魚の品種であったことはこの餌袋から容易に想像が付きます。

そして西川氏の目指す大坂らんちうも、この挿し絵の金魚に間違い無い事をご本人の口から確認出来た事が何よりも、私達を納得させる根拠になりました。

西川氏訪問後、お隣りの大野三男氏を訪問する事が出来、その時に思わぬ証言を頂きました。あの系統図を指差し、氏は「こんな金魚が本当にいたよ。」と仰ったのです! もう動かぬ証拠として有頂天で帰途に就いたのは言うに及びません。

状況証拠はこれで十分でしょう。物的証拠としての当時の写真が何よりも欲しく思う今日この頃です。


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